新型コロナウイルスの感染拡大防止に向けて政府が4月17日に発令した緊急事態宣言が5月25日に解除され2か月余が経った現在、誰もが第2波が来たと思わざるを得ない程感染が拡大している状況になっています。政府は、さらなる感染拡大防止に向けて効果的な対策を講じながら社会経済活動を進めていくと言っていますが、効果的な具体案というものが見えていないと感じるのは私だけではないと思います。
 そんな中ではありますが、当社では今年度も人材育成事業を進めています。当然ながら、新型コロナウイルスと闘いながらになりますので、各事業における育成の成果、到達点をどこまで求めるかという点が大きな課題となります。
大学などの対応策を見ると、リモート授業等様々な工夫をしているようですが、学生の反応を見聞きしている限り、学びの成果や実感を得にくい等、様々な問題が露呈しているようです。
 当社が行っている人材育成事業は、林業等の担い手のキャリアアップにつなげるためのものが多く、受講しなければ出世できない、あるいは職を失ってしまうという性格のものではないため、加えて実習や演習が重要視されることもあり、成果や効果を上げるという意味では、リモートでの対応が難しいと言わざるを得ない性格のものになります。
とは言え、新型コロナウイルスに限らず、人が密にならないかたちで効果や成果をあげられる人材育成方法を確立していく必要性が出てきているのは確かです。只々、今までのやり方で密を避けるだけの方法や対策を講じるというのではなく、根本的に視点を変えた新しい人材育成方法を考え構築していくことが必要になっているのだと思います。おそらく、そのことは業界や業種、社会人、学生に関係なく、人材育成に関わる方であれば誰もが感じていることだと思います。
 人と人が直接接することで肌感覚で学ぶということでしか得られないこともたくさんあるとは思いますが、そう思い込んできたのでは?と問われると、確かに、それ以外の学び方を積極的に模索してこなかったとも言えます。今、我々の周りにはAIやICT等新しい機能やツール、技術があふれている状況です。それらを活用した“肌感覚で学べる術”を探し出せるような気もします。
さて、それがどのようなものなのか、トライ&エラーを重ねながらにはなると思いますが、チャレンジしていきたいと思います。

 昨今、過去の時点において将来の見通しや判断を見誤ったばかりに、誰もが「それは単なるつじつま合わせでしょ」、あるいは「常識的に考えたら、嘘の上塗りでしかないでしょ」としか思えないような発言や対応をしている方々を多く見ます。それによって自分だけが恥をかくだけなら良いのですが、それがどう見ても利己主義的で、また多くの方を巻き込んでいるのであれば社会問題となります。そうならないためには、状況をしっかりと見極め、自身の置かれた立場や自分に課せられた役割を認識し、本当は沢山ある中から対応すべき術を選択できれば良いのでしょうが、現実的には数ある中での最良な術を以ってことにあたることが大切なのだと思います。つまりは、広域的視点から適切な判断ができる力を持つということだと思います。特に、組織や団体、地域の統率を図るリーダーにとっては必要不可欠な能力だと思います。でも、何故その判断を誤るようなリーダーが増えてきたのでしょうか。自分に対するおごり? 損得勘定? 歪んだ自己顕示欲?
 以前、ある有名な大学の名誉教授が、日本の学校教育においてこの判断力を養う、あるいは身に付けるということを学ばせてこなかったと言っていました。これについては社会教育という視点からも同様のことが言えるのではないでしょうか。この背景には、物事を判断して決める人とそれに従う人で社会を回してきた日本の昔ながらの構造に原因があるのかもしれません。いずれにしても、判断することの経験が浅い現代人にとって適切な判断をするというのは本当に難しいことなのだと思います。こういった場合、リーダーは専門家や研究者等に依頼し、過去の蓄積やデータから検証された科学的根拠に基づいて判断を下すことも多いと思いますが、適切な判断か否かは、結局は判断を下す人の裁量にかかってきます。いずれAIが科学的根拠の精度を高めてくれるとは思いますが、今後はそれ以上に、それらを適切に判断できる力を持てる人を社会全体の中で増やしていく必要があると思います。そのためには、やはり実体験による継続的訓練こそが最も大切なことだと考えます。それも、学校教育の中で取り入れられるのがベストだとは思いますが、直ぐにというわけにはいかないと思いますので、先ずは数年前から注目されている社会人向けのCPD(Continuing Professional Development/専門的能力の継続教育)として取り入れていけば良いのではと考えます。現に、私たちが携わっている森林・林業の担い手育成事業の中の、リーダー育成等でも、継続教育の重要性を訴える研修生が増えてきています。ある研修生からは、「自分は林業の現場の班長であり、現場では日々様々な判断をしながら班員に責任のある指示を出さなければならない。でも、これまで大きな責任を課せられるほどの判断をする必要もなく生きてこられた自分に適切な判断が下せるとは思えない。だから、継続的に訓練できるような機会は欲しい・・・」と言われました。
 これに対して厳しい見方をすれば、それが分かっているなら自身で意識を変えて日頃から訓練すれば良いのではと言うこともできますが、おそらくそれはその方だけの問題ではなく、個人の裁量を以ってかたづけられない実態なのだと思います。“判断力を身に付ける”ことは、本当に難しく時間を要することかもしれませんが、その先の未来を考えるのであれば、今できることから取り組んでいかなければならないと考えています。
 当社が事務所を置く東京都内でも、ようやく緊急事態宣言が解除され新型コロナウイルスと付き合いながらの社会経済活動が始まりました。緊急事態宣言が発動されていた期間は、在宅勤務や密にならない工夫をしながら業務を進めておりましたが、やはり常にストレスを背負っての日々でした。おそらくこのストレスともしばらくは付き合っていかなければならないのでしょう。
 さて、時世というのもあり、私も以前より報道番組を見聞きするようになりました。当然ながら、その多くがコロナ関連のものになります。報道番組の中では、様々な専門家(感染症研究者、医療従事者、経済学者、政治家等)から、単なるコメンテーター、司会者等が様々な考えや意見を発しますが、これまでの平和な時代においては、報道番組であってもいかにシナリオや編集が重視されていたかがわかります。今はコロナ禍の影響で、日々変わる情勢下ではシナリオはつくりようがないし、編集は間に合わないので、ライブで聞き手にしっかりと伝わる説明や話し方が出来る方が本当に少なく、こんな番組でいいの?って思えてしまうものがいくつもあります。それは意見の良し悪しでは無くて、質問の答えになっていない、薄っぺらな考えしかなく議論になっていない、あるいはそもそも説明をしている方がその内容を十分に理解していない、同じことの繰り返し等、聞いていても全く伝わってこないということです。
 以前、東京オリンピック2020の招致合戦を行っていた時の日本代表のプレゼンテーションはそれなりに人の心を打つものでした。あれができたことが東京招致に近づいたのだと思います。もちろんあのプレゼンテーションには緻密なシナリオがあり、それぞれのプレゼンテターがプロの指導を受けて何度も練習した成果であることは誰もが知ることだとは思いますが。それに比べ、昨今の報道番組を見聞きしていると、中身のあることを話せない人がたくさんいることに驚かされます。そもそも報道番組なのでシナリオに頼らず、出演者が自分の考えや意見を責任をもってきちんと述べるべきなのに、普段から何も考えていないのか、話すこと、伝えることの訓練不足なのか、聞き手側に全く響いてきません。あげくには、つい先日発言していた内容とは全く真逆の話を後から作成したシナリオ通りに悪びれもせずに発言して(させられて)いるのを見てしまうと、不信感を越え虚無感に打ちのめされた気分になります。人に何かを伝えたり、説明したりする場合、その人が日ごろからそのことを深く考え、思いを持って、矛盾が無く、伝え方を選んで発しないと何も伝わってこない。特に社会情勢に大きな不安、あるいは不信がある中であればなおさら、発言する内容や判断・決断した根拠を示し、何より自らの言葉に重い責任を持って発しないと納得しない、信頼など得ないということを多くの方々が感じたのではないかと思います。
 私自身、研修等の仕事で伝えることやプレゼンテーション技術について話をさせて頂く立場ではありますが、恥ずかしながら、この伝えること、プレゼンテーションすることがこんなにも難しく、奥深く、責任のあることだと改めて気づかされた次第です。「人の振り見て我が振り直せ」という声が聞こえたような気がします。これを忘れず、今後どのように研修等の中で活かしていくか、早々に考え対応していきたいと思います。

以前、田坂広志氏の「直観を磨く」という本を読んだときこんなことが書いてありました。物事を深く考えるための一つの手法として、「本で読んだ知識ではなく、体験から掴んだ知恵で考えることが大切である」と。確かに、人は誰もが理解、あるいは客観的に評価できる論理的な言語による知識習得方法を重視し、経験や体験を通じてしか見つけることができない“言葉で表せない知恵”の価値をずいぶん低く見てしまっているように思います。既に死語になっているのかもしれませんが、それは「デジタル化社会」が成してきた価値にも思えます。
2011年の3月に発生した東日本大震災で、幼い頃、同じような大地震を体験した老婆の方が、地震発生後に直感的に大津波が来ると感じ、周りの人に声をかけ直ぐに高台に避難することができたと語っていました。経験や体験を通じてしか得られない直感的知恵が幾人もの命を救ったのです。
現在、新型コロナウイルスが猛威をふるい、先の見えない不安が社会を取り囲んでいますが、その陰で医療関係者は患者を助けるために、医薬品研究者の方々は治療薬やワクチン等の開発に向けて必死に戦っています。仮に特効薬等が開発されれば多くの方の命を救うことができるし、社会に蔓延している大きな不安も払拭されていくのだと思います。でも、このような正体不明(?)なウイルスはまたいつ、どこで発生するかもわかりません。であるならば、私たちはもっと今の経験や体験を通じてしか見つけることができない“言葉で表せない知恵”というものを再評価する必要があるのだと思います。台湾がかなり早い時点で新型コロナウイルスの拡大を封じ込むことができたのは、過去のSARSでの体験や蓄積があったからだという話は多くの方から聞きます。残念ながら日本にはその経験も危機感も薄かったから、今こんなに混乱しているのだと思います。そのために専門家や政治専門家がいるかもしれませんが、結局誰も体験したことの無いことが起きており、過去の文献やデータから読み取れる限界をはるかに超えてしまっている、さらにはこれまで経済中心で動かしてきた社会に皆どっぷり浸かってしまっているのだから、ウイルスへの対応のみならず社会の混乱を抑える知恵が生まれないのは当然なのかもしれません。だからこそ、辛いことも大変なことも含めて、今起きていることからしっかりと学ばなければいけないのだと思います。
今まさに毎日必死に戦っている医療従事者の皆様には只々感謝するとともに、だからこそ、それらの一部の方々に負担が偏り過ぎない社会を、社会を構成している私達市民一人ひとりがどうすればよいのか、それぞれの立場や役割から深く広く考え、明日のための知恵を生み出し、主体をもって共存していかなければいけないのだと思います。
新年度を迎えました。例年であれば、今年度の当社のビジョンや目標・計画などを皆様方にお伝えし、有言実行に向けてあらたなスタートをきるのですが、今は、日本そして全世界を脅かしている新型コロナウイルスに負けぬための対応に意識を注視せざるを得ないのは皆様も同様かと思います。
さて、当社では各研修事業等の中で“リーダーシップ”あるいは“リーダーとは”というテーマで講義やワークショップを実施していますが、現在、各国、各地域のリーダーが、新型コロナウイルス対策に向けて様々な政策、施策、発言を行っているところですが、国や地域によってその内容や方向は千差万別です。これまで人間は、地球で起こり得る多くのことが人間の力で管理できるものだと考え、実際にそれらを管理することに(後付けでも)成功してきたと、特にリーダー達の多くは発言しているのではないかと思います。ただ、今回の新型コロナウイルスは、その域を超えた大きな問題、試練になっているのは誰しも感じていることであり、それ故に、各国、各地域のリーダーの対応や発言についても、首をかしげる、あるいは呆れかえるものも少なくありません。市民が混乱、動揺し、不安に苛まれている状況の中で、まったく見当違いの対応や中身のない掛け声だけの発言をしている場面をメディア等で目にしてしまう(メディアも意図的にそのように見えるシーンを出している可能性があるので注意が必要)と、いったいこの人はどこを見て、あるいは誰のためにリーダーシップを図ろうとしているのか?そもそもリーダーとしての資質に欠けているのでは?さらには所詮その程度の器なのかなど、危機的状況であるからこそその本性が透けて見えるように思えます。ただ、市民にどう思われようが、見透かされようが、そのリーダーの政策や発言が実行され、目に見えぬ新型コロナウイルスとの戦いに勝利する(生命や経済等あらゆる観点からの犠牲者を極限に抑える)ことができれば、それが正しい判断であり、素晴らしいリーダーシップを諮ったと後に賞賛されるのだろうと思います。いずれにしても、各国、各地域における状況、根底にある思想、社会活動における価値観もそれぞれであり、唯一無二の勝利や正解は無いのだと思いますが、どのリーダーが多くの市民を守り得るのか、その判断、政策、言動をしっかりと観る必要があります。
勿論、自分も一市民として、あるいは一企業のリーダーとしての責任を考えそれを果たしながら・・・。
皆様、この苦境を共に乗り越えていきましょう!