ここ数か月は何をするにしても新型コロナ感染のリスクを考えなければならず、辟易としている方も多いはず。当然私もその一人です。今まであった楽で便利で、時には受け身でいても楽しませてくれた様々なサービスや恩恵が受けられず、あるいは、欲しいものや食べたいものが直ぐには手に入らず、行きたいところにも行けない不自由さが何ともストレスにもなっている話は方々から聞こえてきます。

でも考えてみれば、この令和の時代、私の生まれた昭和の時代と比べ、何ともあらゆるものがお金で買える時代になりました。人間の些細な欲求をサービスやモノとして商品化させる才能が、人々を経済的に豊かにしてきた証です。その才能と努力と積み上げてきたものは本当にすごいものだと実感しています。

でも、今、それらの恩恵が受けられない状況になっています。

そんな中、先般仕事仲間とコロナ禍における暮らし方や暮らしについての意識の変化について話し合う機会がありました。お互い最初は不便な暮らしに対する不満ばかりでしたが、話が進むうちに「でも、それって自分でやってみると確かに面倒だけど、意外と楽しいよね。」あるいは、「昔は自分で創造して、自分で工夫してやってみるしかなかったよね。そこから新しいアイデアや発想が生まれて、結局それが暮らしや仕事に役立てることができたよね。」というようなポジティブな内容に変わっていました。お互いに昭和の時代に生まれたから共感できたのだと思っていたのですが、昨今、様々なメディアの中でも10代や20代の若者が「不便だけど自分でやってみたら新しい発見が出来ておもしろい」とか、30代の方が「子供達と新しい遊び方を一緒に考えて、それで家族関係が良くなった。」等の声を紹介していました。

そう考えると、人って“誰かがつくった何かを楽して手に入れることも好き“、あるいはそう納得することで社会経済を回してきたのだけれど、いざ様々なことが自由に出来なくなるという制限がかかると、”自分で創造し、工夫しながら何かを生み出すことの歓びとその才能を呼び覚ますことができるもの“だと改めて思わされました。

この先、仮にコロナ禍が下火になっていったとしても、暮らし方やサービスやモノに対する価値観や考え方は、コロナ禍以前のようには戻らないでしょう。消えゆく業種、発展する業種、これから生まれる業種、その中で社会経済活動の仕組みも変わっていくはずです。

それを支えるのは、やはり人間の創造力と実践力なのだと思います。そして、それを発揮するのもこれまでのような一部の限られた“できる人”ではなく、“やろうと思う人であれば誰でも”の時代になってくるのだと私は思います。

「可能性は誰にでも平等にある」そう思ってこれからも様々なことに挑戦し続けていきたいと思います。

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