以前、田坂広志氏の「直観を磨く」という本を読んだときこんなことが書いてありました。物事を深く考えるための一つの手法として、「本で読んだ知識ではなく、体験から掴んだ知恵で考えることが大切である」と。確かに、人は誰もが理解、あるいは客観的に評価できる論理的な言語による知識習得方法を重視し、経験や体験を通じてしか見つけることができない“言葉で表せない知恵”の価値をずいぶん低く見てしまっているように思います。既に死語になっているのかもしれませんが、それは「デジタル化社会」が成してきた価値にも思えます。
2011年の3月に発生した東日本大震災で、幼い頃、同じような大地震を体験した老婆の方が、地震発生後に直感的に大津波が来ると感じ、周りの人に声をかけ直ぐに高台に避難することができたと語っていました。経験や体験を通じてしか得られない直感的知恵が幾人もの命を救ったのです。
現在、新型コロナウイルスが猛威をふるい、先の見えない不安が社会を取り囲んでいますが、その陰で医療関係者は患者を助けるために、医薬品研究者の方々は治療薬やワクチン等の開発に向けて必死に戦っています。仮に特効薬等が開発されれば多くの方の命を救うことができるし、社会に蔓延している大きな不安も払拭されていくのだと思います。でも、このような正体不明(?)なウイルスはまたいつ、どこで発生するかもわかりません。であるならば、私たちはもっと今の経験や体験を通じてしか見つけることができない“言葉で表せない知恵”というものを再評価する必要があるのだと思います。台湾がかなり早い時点で新型コロナウイルスの拡大を封じ込むことができたのは、過去のSARSでの体験や蓄積があったからだという話は多くの方から聞きます。残念ながら日本にはその経験も危機感も薄かったから、今こんなに混乱しているのだと思います。そのために専門家や政治専門家がいるかもしれませんが、結局誰も体験したことの無いことが起きており、過去の文献やデータから読み取れる限界をはるかに超えてしまっている、さらにはこれまで経済中心で動かしてきた社会に皆どっぷり浸かってしまっているのだから、ウイルスへの対応のみならず社会の混乱を抑える知恵が生まれないのは当然なのかもしれません。だからこそ、辛いことも大変なことも含めて、今起きていることからしっかりと学ばなければいけないのだと思います。
今まさに毎日必死に戦っている医療従事者の皆様には只々感謝するとともに、だからこそ、それらの一部の方々に負担が偏り過ぎない社会を、社会を構成している私達市民一人ひとりがどうすればよいのか、それぞれの立場や役割から深く広く考え、明日のための知恵を生み出し、主体をもって共存していかなければいけないのだと思います。
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